祖父が亡くなった

大好きな祖父が亡くなった。
葬儀を終え、初七日を迎え、大分気持ちが落ち着いた。

入院している祖父が危篤状態になり、いつ急変して亡くなってもおかしくないから最後に会いたい人は集まるように、と病院から連絡があったのが先週の火曜日。
母親からその連絡がきたのが午前10時頃だったかな。即座に仕事を切り上げて病院にダッシュした。ド平日なのに全子ども(とその配偶者)、全孫が集結したのはすごかった。身内勢ぞろいで本当に圧巻だった。みんなじいじのことが大好きなんだよ。

結局その日は祖父の容体が急変することはなく、夜までみんなで病室にいたものの、ひとまず今日は帰ろうか、ということになって一旦解散した。明日も仕事はお休みをいただいて祖父のそばにいようかな、なんて思いながらお布団に入った。
そうしたら真夜中に枕元に置いてあるスマートフォンのブー、ブーというバイブ音でハッと目が覚めた。普段は眠りが深くて目覚ましのアラーム音でさえ起きないのに。画面を見ると「お母さん」からの着信の画面。時間は深夜4時。その瞬間すべてを察しちゃった。もしもし、と電話に出るとじいじが亡くなった、と。何と言っていいか分からなくて、そっかあ、しか言えなかった。その後は明日の朝に病院から自宅にじいじが帰るから付き添いのために朝〇時に病院に来て、みたいな事務連絡をして電話は終わった。
明日朝早いなあ、早く寝なきゃなあと妙に頭は冷静だったけど、お布団に入って目を瞑って、本当に亡くなったんだ、と思った瞬間涙が止まらなかった。最後は病気でとても苦しそうだったから楽になれてよかったじゃないか、という気持ちと、もっと生きていてほしかったという気持ちでぐちゃぐちゃだった。もう一生じいじとお話しすることはできないんだと思うと悲しくて悲しくて仕方なった。隣で寝ている人を起こさないように、声は出さずにわんわん泣いた。

それでもいつの間にか眠りに落ちていたみたいで、起きたら朝だった。すぐに身支度をして病院に向かった。重々しい雰囲気の霊安室のなか、祖父は眠っていた。お家のソファーでお昼寝をしていたときと全くおんなじ顔をしていた。声をかけたら目を開けるんじゃないかってくらい安らかな寝顔だった。でもお顔にふれるとびっくりするくらい冷たかった。本当に亡くなったんだ、と思った。こんなに眠っているみたいなのに、もう起きることはないんだと思うと悲しくて涙が止まらなかった。実の娘と息子である母親と叔父は泣いていないのに私だけ泣いて恥ずかしい、と一瞬思ったけど、隣の兄もポロポロと泣いていて、ちょっとほっとした自分がいた。

その後、祖父を自宅に運ぶ車に母親と私が同乗させてもらった。私の席の隣で横になっている祖父が、白い袋(納体袋というらしい)に包まれていて、その姿を見てさらに悲しくなってしまった。この袋ってご遺体を入れる袋じゃんか。これに入ってるってことは、じいじって本当に遺体になっちゃったんだ、と。

入院中「家に帰りたい」としきりに言っていた祖父がようやく帰宅できた。でも、こんな形での帰宅なんて。生きているうちにお家に帰らせてあげたかった。リビングに敷かれたお布団で眠っている祖父を見てそう思った。そう思うと、余計悲しくなってしまった。眠っている祖父のそばに座っている祖母の背中がとても小さく見えた。61年連れ添った夫を失った悲しみは私には想像もできない。それでも祖母の気持ちを思うと、悲しくて悲しくて仕方なかった。
通夜と葬儀の日程はこの日のうちに決まった。火葬場が混んでいるため、6日後に通夜、7日後に葬儀とのことだった。長野に住んでいた父方の祖父母が亡くなったときは即日通夜、葬儀とかなりスピーディーだったため、東京はこんなに待たされるのかと驚いた。冬場だからまだいいけど、夏場とか7日も空くようなことがあったら大丈夫なんだろうか、なんて思ってしまった。

翌日、祖父が自宅からセレモニーホールの安置室に移動するのに付き添った。また5日後に会えるとは分かっていたけど、祖父をひとりで置いて行くのはなんだか心苦しかった。またね、お父さんと言っている叔父の声があまりにも優しくて甲斐甲斐しくて、また帰り際に何度も何度も祖父の方を振り返っている祖母の様子が切なくて、またとても悲しくなってしまった。

お通夜の前日、祖父との思い出のお菓子を棺のなかに入れようと思い、お店に買いに行った。私が浪人しているとき、毎週水曜日に祖父が予備校まで迎えに来てくれて、二人で一緒に帰っていたのだけど、その途中によく寄ったお店があって、そこのお菓子を買って帰って一緒に家で食べた思い出があるのだ。その懐かしのお菓子を久々に買って、きっとじいじ喜んでくれるだろうなと思いながら歩いていると、でももう一緒に食べることは叶わないんだ、もう棺に入れるくらいしかできないんだ。うちでお茶を飲みながら美味しいねと一緒に食べたあの時間はもう一生来ないんだ、とジワジワと悲しみが溢れてきて、泣きたくて仕方がなくなってしまった。じいじがまだ元気だったころ、もっといっぱい一緒に食べておけばよかった。久々のこのお菓子が、お供えものだなんて。外をひとりで歩きながら涙をこぼしてしまった。ちょっと、いやかなり変な人だったかも。

その日の夜も、お布団に入ってから祖父との思い出をたくさん振り返って、楽しかったなあという気持ちと、でももう祖父には会えないんだという気持ちでいっぱいになってしまった。優秀で、厳格で、インテリで、尊敬している祖父のお話しももう聞けないんだ、祖父から色んなためになることを教えてもらうことはもうできないんだ。ついこの間まで一緒に外食していたのに。ついこの間までお家に遊びにいって色々お話ししたりしたのに。やっぱり悲しくて悲しくて仕方がなくなって、わんわん泣いてしまった。

お通夜の日、5日ぶりの祖父は相変わらず眠っているようにしか見えないお顔をしていた。祖父が生きていて、最後お見舞いにいったときは苦しそうな顔をしていたから、いまはすごく楽そうな、安らかなお顔をしていてよかった、と思った。亡くなったのは本当に悲しいけど、苦しさから解放されたのはよかった。
この日納棺の儀も行って、みんなで死装束を整えてあげた。足袋を履かせたり、手甲をかぶせたり、六文銭を入れたり。祖父が安らかに旅立てるような準備をみんなでしていると、やっぱり祖父は亡くなったんだ、と改めて思ってしまった。みんなでそうやって祖父のまわりでわさわさしているのに、「何しているんだ」と言って祖父が起きることはなくて、黙ってあの世に行く準備なんかされちゃってて、目を覚ますなら今だよ、なんて思ったけど目を覚ますことはなくて。あっという間に死装束が整っちゃった。その後はみんなで通夜後の会食を行い、祖父に「また明日ね」「また来るよ」と挨拶をして解散した。

翌日は告別式の前に祖父が好きだったものをみんなでたくさん棺に入れてあげた。私が買った思い出のお菓子もだし、愛読していた囲碁や将棋の本も、この日の朝の日経新聞も、祖父が所属していて大好きだった団体のパンフレットも、色々と所狭しと並べてあげた。みんなで書いた色紙も、個人で書いた手紙もそっと胸の上に置いてあげた。その上にみんなでお花を手向けてあげて、祖父のまわりがとっても華やかになった。大好きだったものと真っ白な綺麗なお花に囲まれて、まるでお花畑でお昼寝しているみたいだった。これでもう棺の蓋が閉まったらさよならだなんて信じられなかった。その後告別式が終わって、いよいよ出棺の時がきた。霊柩車に乗る祖父の棺を見て、なんだか夢のようだと思った。霊柩車と一緒に火葬場に向かうマイクロバスに乗り込むときもなんだかふわふわしていた。本当にこのあと祖父の体はなくなってしまうんだろうか?

火葬場についたら、あっという間に火葬炉のなかに祖父の棺は吸い込まれていってしまった。東京の火葬場は大分システマチックだった。本当にこれで祖父とさようならなの?実感がわかなかった。気丈な姉が隣で声をあげて泣いていた。

火葬が終わるまでしばらく待機、ということで待機室でみんなで座って待っていた。どんな話をしたかあんまり覚えていないけど、兄の娘(私の姪っ子)のクリスマスプレゼントをどうしようか、みたいなとりとめのない話をしていた気がする。そうしたら思ったよりも全然早く職員の方が私たちを呼びにきた。もう火葬が終わったらしかった。

火葬炉のところに戻ると、真っ白い骨になった祖父がいた。ついさっきまで眠っているように見えた人がどこかにいなくなってしまって、骨になっていた。あまりの変貌ぶりだった。人がモノになってしまった。
そして、骨壺に祖父をおさめるお骨上げの儀式をやるらしかった。以前長野の祖父のお骨上げのときに具合が悪くなり、貧血で倒れてしまった経験から私のなかでお骨上げは軽いトラウマになっていた。母親と叔父に断り、私はその儀式に参加しないで遠くから眺めていた。お骨上げに参加しない私に対して祖父は怒っていただろうか、悲しんでいただろうか。ごめんなさい、ごめんなさいと心のなかでずっと祖父に謝っていた。
遠めにだけど骨になった祖父を見て、不思議と涙は出なかった。本当にこの世から祖父が消えたんだ、と冷静に思った。

その後、骨になった祖父を連れてみんなでセレモニーホールに戻り、会食を行った。会食中は祖父との思い出話に花が咲いた。これお父さんの好物ね、とか、そういえばじいじってあのとき…みたいに。はははと笑い声が上がるような明るい会食だった。
骨になった祖父をみたショックで食欲なくなるかな、なんて思っていたけど、思ったよりパクパク食べられた。食べることは生きることだよな、なんて思った。晩年の祖父は全く食事を口にできなかったから。

会食が終わったあと、祖父をつれてみんなで祖父母の家に行った。祭壇に遺骨と遺影と位牌を置いて、みんなでお線香をあげた。お通夜までは私はあんなにわんわん泣いていたのに、不思議と涙は出なかった。祖父がこの世にもういないのは本当に悲しいけれど、お通夜と告別式と荼毘を通じて、その悲しい気持ちが整理できたような気がする。どうして火葬したあとの骨を見せられなきゃいけないんだろう、と思っていたけど、骨というモノになったということを見せられると、本当にいなくなったんだ、と実感できるからかもしれない、なんて思ったりした。(お骨上げに参加してない分際で何を言う、という感じだけど。。)

大好きな祖父はもういないけど、四十九日まではお家にいるし、納骨をしたあとはお墓にいるし、なにより私の思い出のなかにずっといる。もう会えないのもお話しできないのはとても悲しいけど、祖父に教えてもらったことはずっと私のなかで生き続けるし、私がそれを下の代に継いでいけば祖父が生きた証拠はずっと残り続ける。

弔事を経て、じいじが亡くなった悲しみを私は受け入れることができたのだと思う。

だからじいじ、私はもうメソメソしてないからゆっくり休んでね……
と言いたいところだけど、祖父はゆっくり休むようなキャラではないから、向こうでもそのカリスマ性を存分に発揮して、覇権をとってね。